久しぶりの発熱
昨日は喉が痛くなりまして、慌ててお薬を処方して頂きました。
そしましたら、インフルエンザのワクチンを受ける予定になっていたようで(私は知りませんでしたけど)ドクターが仕事終わりに打つからね!っていう。
とかろが、夕方からすこし寒気しまして、待合の方も寒そうにしている様にも見えましたしエアコンが効いているのかと消してみたりしたわけですが、ま、本人知りませんでしてけど今日はワクチン接種するので、ということで体温を測ったわけです。
そうしましたら、お熱ありました!
もうびっくりで「この体温計あってるの?壊れてない?」っていう。
時間を空けてまた測ってみたら38,6って・・・およそ39度じゃないですか?こんなの某国だったら、40度とか言いますよ。
ところが、先生の表面温度の体温計では36,8っていう。「ないよ」と言われましても・・・。
いずれにしても、脇で測った電子体温計の体温を優先させていただいた訳ですが・・・お熱あると注射できないことになっているので。
そうしましたら、うそだーとか遠くで言ってるので「せっかくなのにすみません」と申しましたら
「いいよべつに」みたいな言い方をするっていう。
しばらくして、さすがに大人げないなと思ったのか「大丈夫ぅ?もっと強い抗生剤にしとけばよかったかな?変えようか?」なんて言ってくるっていう。
「え・・・う(もう薬剤師さんが残業し過ぎで、憤りますから、いいです・・・)ん~大丈夫です。弱い抗生剤でも帰ったらすぐ飲みますので、効いちゃうと思うので」
「ん、じゃ弱いの飲んでちょっと様子見て(笑)」って
・・・「(笑)」って?
・・・この曖昧さ!
しかし、仕方なく。
いろいろな原因があるので、お熱に関しては一概に何が原因なんて人それぞれなので。
明らかに、溶連菌感染症だとか、急性扁桃炎とか、まさかのインフルエンザとか、わかりやすい病名つけば、素早くピンポイントのお薬や、対処の仕方がありますが。
殆どの場合、はっきり原因が掴めないので、とりあえずの教科書通りのお薬になるようです。
副作用のリスク考えたら、そうそうすぐ効くようなお薬のほうが出せませんよね。
最初から強い漢方とか飲んじゃう人いらっしゃますが、未病には強すぎて乾燥してしまうので、悪く出る時もありますから、できるだけ食事で切り抜ける、最初は弱いお薬で様子を見る。のがやはり正しいかと。
私の経験上、VCたっぷりのフルーツ食べてからお薬を飲んで
少し浮腫んでくる感覚ありますので、必ずゆーっくりとしたストレッチをします。もし着圧タイツ、あるいはメディキュットとかあるなら装着すると良いですよ。ダルさが軽減されます。ストレッチは本当に大事なので・・・。
あああああ~だるいなぁ・・・。
体温は無事下がりました。
すっきりするまでは、もう少し時間がかかりそうです。
ジャズを聴くということは
ジャズって、恥ずかしい話、興味なくて、おしゃれ感を演出したバー、焼き鳥屋、パン屋、らーめん屋、つけ麺屋、などのBGMとしての認識・・・程度でございました。
クラシカルミュージックは好きなので、オーケストラ、吹奏楽、いわゆる名曲は、すべて愛しています。ロックもUKのものを好み、ダンスミュージックは嫌いではない・・・程度で、そしてジャズに関しては、なかなか理解ができなくて、関心を持てず、シュローダーヘッズの音楽に、唯一、私が理解できるジャズ性を感じ、ジャズを教えてくださった愛すべきバンドとしています。
そして、たまたま、友人に誘われたライブが、実は横浜のジャズフェスの一環で、某ジャズバンドが主催したライブだったのです。はっきり言って、シュローダーヘッズのライブならめちゃ嬉しかった訳ですが、知らないジャズバンドのって楽しめるわけないし・・・すみません、はっきり言っちゃいけない事なのですが。
ま、
そうとは知らず、です、なのでもともとの苦手意識ががっつり表に出てしまいました。
ところが、途中から、バンドのリーダーが「皆さん、この難しいリズム、カウントとってみてください」と言いました。するとシンセ担当の方が「アタシ、とれません、とってたら皆に遅れちゃうんです」と、爆笑の中、ドラムで「こうですよ」なんて教えてくださりながら、さあカウントとってね、いってみよ!となったわけです。
会場のゲストは当然足や肩でリズムとりだすのですが、私はカウントすることに専念が精一杯。
カウント取り出しますと、それに合わせて、音が聞こえる感覚になりました。
音楽というより、音です。
あっ・・・楽しいかも、これだ!と。
そうなのです。ジャズはこうやって楽しむんだ、ということを偶然にも教えていただきました。ついに、苦手を克服してしまいました。
なんでしょう、今更、なんなのかと思うのですが、生きていく過程で、私の認識が段々変わって行くことが本当に楽しいです。
この連休は横濱ジャズプロムナードと言うことで、横浜のいたるところで、ジャズライブしていました。お天気にも恵まれ、横浜は眩しい街に変わっていて、若いころ見たイメージ、今、出来上がっている見た感じの変貌に驚きですが、どことなく、昔、想像した美しい街並み、非日常の街並み、その融合が現実化しているようで、この横濱の街並み全てをデザインしたアーティストにお目にかかりたい、ありがとうと伝えたい、と思ってしまいました。
ということで、音楽って楽しみ方がいろいろありますね、その、聞いていて癒されたり、想像力が刺激されたり、リズムと音っていう二度と同じものが奏でられないような即興性の弾けるような楽しさだったり。
この素晴らしい世界観の出会いに感謝です。
ハービーハンコックさんについても、少し勉強してみようかしら・・・
と思った今日このごろでした。
朝食への気遣い
朝食をしっかりと食べる生活を、20代の時にしてはいませんでした。
疲れやすい、風邪を引きやすい、ボーっとする、など
年を重ねていくと、かなり切実な悩みとなります。
特に向上心の強い人なら、体質改善の努力に早くから着目し、自分にあった何か良いもの良いことを見つけて、しっかりと取り入れていることだと思います。
朝食については、若いころの私は、本当に食べられない状態でした。
ですが、薄切りの食パン一枚を何としても胃袋に入れよう、と決意し、少しずつ、朝、起きたら何か食べることを実践していきました。だんだん、味のあるものを取り入れ、野菜スープ、フルーツなど食べられるようになり、最終的には、起きてしばらくしたらご飯がたべられるようになりました。これは、早起きしないと始まらないのですが。
生活を、朝方にした訳です。
今では、朝から、カレーや豚しょう(豚の生姜焼き)も食べられます。
人生、折り返しの時点で、食欲だけは無くならない、どんなにつらくても、悲しくても食べることができない自分になっていない、と言うところが、ポジティブでいられる秘訣だと思います。
さて
特に最近の注目ですが、
朝の8時までの間に、約30グラムのタンパク質をとると一日の摂取カロリーを最大400カロリー減らせて、さらに脂肪燃焼を促進させることができるという話をきいたのです。
ソースはインターナショナルジャーナルに掲載された論文だそうで、見ると
裏付けもしっかりしているし、情報通のナースでいらっしゃる先輩からも「良質なタンパク質をしっかりととらなきゃダメよ」と言われているので、さっそく、実践始めました。
まずは、鶏むねを、レンチンでチャーシュー風にしてつくおきしておき
それを毎朝粒マスタードで頂きました。
納豆には生卵をかならず入れたり、最近ではゆで卵を作り自家製なんちゃってマヨネーズと合わせてタルタルをつくおきしたりして、朝、パンと食べたり、炊き立てご飯にかけたりしています。
生ハムや、紅鮭、このあたりをくるくる・・・毎朝頂くようにしています。
正直、昔は考えられない変貌なのです。
朝食は、本当に大切です。
てゆうか楽しいですね。朝、起きれない時もありますが、なるべく楽しみを作って時間にゆとりをもって、そうすると、周りの同い年とは、いい意味で
随分と違う、自分がいます。
気負いなく(ここ大事)かなり差は出るかと思います。
静かな差。
ともあれ、朝、しっかりと的を得た食事をすることで、猛暑も乗り越えました。
お肌もウルウルです。
必然とは引き寄せか?
今から約6年ほど前のこと、出張で中国の広州へ行ったとき、その空気と乾燥と市場のホコリで私は調子を崩し帰りの飛行機で発熱をしていました。
日本に着いた途端に、気持ちが落ち着いたのか、緩んだのか、高熱に変わり、約一か月ほど熱が出たり引いたり、咳と、涙のような鼻水に苦しみました。
其れからというもの、常にだらだらと透明の鼻水が出っぱなし、ちょっとしたホコリにも敏感になっており
くしゃみ、咳
マスクなしではいられず、メイクしても無駄な日々に変わっていきました。
幸い、ノーメイクでも、文句を言われる職種ではなかったので、BBクリームのみで過ごしておりましたが、・・・常に鼻の下の皮膚が赤かったり毛細血管が浮き出ていたり、ひどいときは鼻の穴の入り口の皮がカサカサ白いという恥ずかしい状態でした。
慣れれば、恥ずかしさは消え、開き直っておりましたが、ある時、先輩から「メイクしなよ」といわれました。
事情を話し、メイクをしたくないと言ったのですが「でも頑張りな」とのこと。
有難く受け止めつつも、あまり気にせずに鼻炎と戦っておりました。
唇の皮もガッサガサになったある日、ちょっとお高めのリップを購入、すぐによくなりそのリップクリームは手放せなくなりました。
しかし、一番ツライ、この『花粉症のような鼻炎』に効くお薬に巡り合えず、時々何かに反応し高熱までだすようになりました。
耳のほうにも多少の異変がみられるようになりましたが、とにかくつらいのが、さらさらのダラダラの鼻水が、のどの粘着した違和感、最悪な後鼻漏に変わりました。
もう完全に、メイク、口紅どころではありません。おまけに、ヒールを履き続けていた私にまたしても不幸が。めちゃくちゃ痛い魚の目、初めて病院でとりました。
痛すぎてしばらくおばさん靴を履いてケアをしていましたが、それから2年後にはみごとな外反母趾。これが脳天突き抜ける痛み。もうヒールは履けない。そうだせめて、せめてアグぐらい履こう。
そしてどんどんスッピン山ガールへの道へ・・・そんな日々を歩いているとき
・・・私の人生がぐるりと変わることが起きました。
リストラです。
私がおばさんになったから?
文字通りの、てっぺんからの奈落の底ですよ。
随分前に、まだまだ若いころに、絶望の淵へ行ったことがあります。
一度の人生に絶望の淵と奈落の底を味わう人はそうそういらっしゃらないと思います。
人生の折り返し地点、そろそろお金を貯めようとか、趣味を広げようとか、年を取っていく自分のためにいろいろ考えるときに、・・・試練は、わが試練は『ふり出しへ戻る』のコマを用意してくださいました。
子供の頃、遊びましたよね人生ゲーム。
さて
偶然はないといわれますけど、自分の身を助けるべく、景気が上がり良い職場が見つかるまでという軽い気持ちで始めたのが、耳鼻咽喉科でのバイトです。
事務系のバイトがしたくて、応募して、全くのド素人を雇ってくださいました。
そこのドクターがかなり立派な方で、知識も豊富で、最先端なのです。
必然だった。と言わざるを得ないのですが、ドクターは特にアレルギー性鼻炎に関して長けていて、教えていただいたお薬、点鼻薬が、まー凄いわけです。
私の最悪なお鼻の状況は説明しました通り、重症な状態ですからドクターが勧めてくださった点鼻薬、すぐには効きませんでした。
吸い込むと、もうツーンとしみて、痛くてしかめっ面になるのですが、諦めずに使い続けて、一年が過ぎ、二年目は全然風邪を引かなくなりまして、三年目には、メイク、特に口紅が、しかもティントまでもぬれる様になりました。
メイク楽しいよ~~という魂の叫び。ご近所のかたから「オーラ出てる」とお声をかけていただくほどになりました。
ドクターが先日診てくださったのですが、まだお鼻の状態は悪いらしく、典型的なドライノーズだそうです。風邪薬や市販の鼻炎薬は、鼻水を止める・・・つまり乾燥させるので根本的解決にはならず、ドライノーズを悪化させるのです。私は悪化させ過ぎたので直りが悪いのですが、つまり、ドクターが勧めるステロイドの入っていない、効かないと業界で言われるタイプの点鼻薬で、根気よく治療していくしかないのです。
でも本当に、少しずつでもよくなっていくのが分かるので、私的には、幸せとしか言いようが無く。
ま、たまに軽く後鼻漏が気になる症状になるのですが、今ではスグに、抗生剤とアレルギーにアプローチするお薬を飲み、長引かせない努力をします。
それと
外反母趾。
これは、たまたま他のバイトで知り合ったかたが、骨と対話が出来るかたで、私があまりにも腰が痛いために、一度施術して頂きましたところ「一番悪いとことは、腰よりも左足の親指だ」と言われました。
ドンピシャな回答に驚きました。
「この親指を体が信じていないから、他の所に力が入る、なので体が曲がっていて腰が痛いのよ」と。
それからスグに近くの整形外科へ通うようになり、リハビリを受ける様になりました。
足の裏が柔らかすぎ、筋肉が無い、アーチがない、その足の裏を鍛える地味なトレーニング・・・本当に苦しいのです。
しかし、レントゲンも見て親指がずれて居るのを知ったら頑張らざるを得ません。
これも半年以上かかりましたが、人並みに足の親指に力が入るようになり、多少足裏の筋肉を感じたり、筋肉痛がしたり、整形のトレーナーも「ここまでになるとは正直思いませんでした」と優しいお言葉をくださり、一年過ぎたころには、もう通はなくても、ご自宅で頑張ってと、治癒までいかなくても、そのような結果で、今では大分外反母趾の激痛が治ってきたようです。多少、疲れにくくなったというか・・・。
なんだか、有難いかぎりです。
奈落の底は、折り返し地点であり、ふり出しでありました。新しい世界観や、シナプスを形成する、というか・・・或いは
私の人生のB面(カセットテープを知らない人すみません)なのかもしれません。
これから、どのような夢をまた叶えていくのでしょう。
スーッと、おばさんになるのかと思ってましたが、ソウデスネ・・・(笑)そうなりたくない自我が引き寄せた出会いでしょうか。人生のエピソードなのでしょうか。
とにかく、体を整えて、感謝感謝の日々です。
ツンデレの始まり
体育祭、昔から、9月10月のイメージでした。
近年、この時期は台風が多く、体育祭延期、延期の果てに中止
なんてこともあるそうで、5月に体育祭を行う学校が増えたようです。
今年は、台風というか
自然災害で、悲しいことばかり、子供たちのプランも台無しだったと思います。
日本だけではなく、世界中、自然災害のニュースで、地球規模で考えないといけないこと、問題が増えました。
そんな中
やはり、懐かしい体育祭のエピソードを思い出します。
実は余り参加をした記憶が無く
運動部、いわゆる体育会系ではなかったので
だからかな
なので、じゃあ、いったい何を思い出すのか「だって記憶が無いのでしょう?」
ということなのですが
あるのです。
それは
中学の頃、フォークダンス入場の時のこと
当時、人気のある男子のエスコートでトラックを一周したという・・・
そんなラッキー過ぎなことがありました。
本当に手に汗を握りました。
こんな風に思っていたことに関しては
誰にも秘密なのですが。
ま
とにかく、ツンデレ女子でしたから緊張を隠すために指の先にしか触れませんでした。
目も合わせなかったな。
感じ悪かったかな。
目が合わせられなかったのにな・・・
今思うと、もったいなかったかも!
あ・・・すみません、下品で・・・。
いやいや
ま
そうです、今思うと
中学の時の体育祭が
わたしのツンデレの原点でした。
今年もあと3か月
今年もあと3か月で終わります。
会社員から離れて、クリエイティブな世界観から離れて
3年が過ぎます。
本当は、本来からの将来の計画から脱線してしまいました。
ここだけの話
大学で勉強し直そう、そう思っていたのです。
着々と用意をしていたのですが
会社を辞めて、保険、年金、住民税などの税金・・・
その支払いの請求額の大きいこと大きいこと!
リアルな、会計がちょい苦手で、全部会社に任せてきたから
かなり不安になりました。
無理が怖くて
スクーリングは通いやすくて、無理なくバイトも出来て、無理なく勉強に打ち込められるよう、何より楽しく学べることを考慮して、1年先送り、1年で安定させるのだと決めて計画を進めていたわけです。
あれから3年。
今の仮勤め先の中での件も件だし
家族の病気の件も件だし・・・で
とても勉強に没頭できる暇など作れなかった、もし、あの時通教を思い切って
始めていたら、とんでもない結果になっていたところだ。
倒れていたか、逃げ出していたか
何かのせい、誰かのせいにして
なんの成長もなかったろう。未来は自分で作るものですが
決まっている未来はあるのに見えないので、きっと未来を知っている力が働いて
私の突っ走りを止めたのだろう。
見切り発車・・・そんなつもりは無かったけど
妙な不安は、起ることに対する予知のようなものだったのかもしれないですね。
3年・・・
短いようで長いし、アッという間にしては随分と経過した、不思議な3年間だった。
何気なく過ごした日々ではないのだけど
ゆっくりとさせて頂きながら、
いろいろあって動き回って、もう逃げ出したかったけど
難題を解決してこれたと思います。
ま、一つ言えることは、
周りにめぐまれました。有難いことです。